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2019-05-23

何があっても大丈夫!を身につける 大人のヨガとキッズヨガ

今年度の小学生のキッズヨガ講座がはじまりました。2013年から月に1回、小学1年生から5年生までの子どもたちと、一緒にヨガをしています。

キッズヨガは、自由で想定外の出来事だらけの現場。音楽に合わせてウォームアップしたり、動物に変身したり、友達と一緒に新しいポーズを作ってみたり…。呼吸や身体の動きに集中する大人のヨガクラスとは、雰囲気が相当違います。

大人のヨガとキッズヨガは一見全く違うことをしていますが、目指していることは、同じです。

「何があっても大丈夫!な心と身体を育むこと」

今回は、仏教やヨガの側面から、大人と子どものヨガの目指していることについて考えてみたいと思います。

ヨガの練習を通して得られること、または、磨かれるものは、「何があっても大丈夫な心と身体を育むこと」と言えるかもしれません。

「何があっても大丈夫」というのは、自分の中に、”確かな自信を築くこと”だと思います。必ずしも、人よりすごいとか、要領よく振る舞うとか、将来への保険のようなものではありません。普段は不確かであったとしても、最後の最後で、”自分を信じる力”です。

先日、参加した「空海に学ぶ仏教入門〜やさしい心を育てるチベットの知恵」という講座で、吉村均先生(日本倫理思想史、仏教学)は、このように話しておられました。

「いじめをなくしましょう、というのは到底無理な話で、大人の世界でもいじめはありますし、見えないところで起きることもあります。でも、いじめられたとしても、それによって命を落とすことをしないで済むようにすることはできるのではないか。そのことに一番役に立つのが仏教(お釈迦様が説いた昔ながらの仏教の考え方)だと思います」

悩みと思われる事象を消すことなくすことはできないけれど、それを感じとる自分の”心の在り方”を変えることはできる。

ヨガの古くからの考え方も、これと共通の認識があります。わたしの師は、人間関係の悩みに対して、「人を変えるより自分が変わる方が楽だし、早いよ。それでもダメなら、距離と時間を置くこと」とよくおっしゃっていました。

わたし自身も、日常生活の中で憤りを感じる度に、この言葉を思い出します。そのときに、わたしが嫌だと感じた”態度”や”出来事”に対して、「そう来たかっ!今回のわたしの思い込みやこだわりを捨てるポイントはどこかな?」と、発想を転換して、楽しむようにしてきました。

また、自分では太刀打ちできない状況に対して「一旦逃げることもあり」という態度を通して、後から深く学ぶことも多々ありました。

皆さんの前に、こんなふうに見える人はいませんか。

・自分の生き方に責任を持っている。

・人に対して優しい。

・その人がいると明るい気持ちになる。

ヨガをしていなくても、こういったことを身につけている人はたくさんいるはずです。わたしも「素敵、真似したい」と思う人に出会ってきました。

でも、多くの人は、自分が決めてしまった「ものの見方」を変えることは、とても難しいと感じるはずです。また、問題の原因が自分の感じ方、見方にあると気づかないまま、悩んでいる人も多いと思います。

不安だらけで、頭でっかちに人や物事をコントロールしようとしていた過去のわたしもその1人でした。そんなわたしも、ヨガの練習を通して、「問題や不安は、わたし自身が作っていたことなのかもしれない」と気づきました。

「このままだと、悩み事が一つ無くなっても、次々新しい不安が押し寄せてくる気がする。そんな風に年を重ねるのは嫌だから、わたしが変わらなきゃ!」と本気で思ったときに、ヨガを続けられる環境が整いました。

すみません。自分の話に熱くなってしまいました…。

外側に向かっていた意識を、内側に向けること。

では、どうやって「心の在り方」を変えることができるか、という方法論について、5000年前から続くヨガの考え方、そして前述のお釈迦様の唱えた仏教は、「意識を内側に向けること」と示しました。

「わ〜、地味!無理!」と思うかもしれませんが、大昔からストレスや人間関係の悩みはつきないもの。そのなかで、先人たちが、経験的に実践してきた方法を、一度信頼してみるのも良いかもしれません。

ヨガや瞑想で、身体の感覚に耳をすませて、呼吸に意識を向けることは、内側に意識を向ける練習になります。それを、繰り返し、身体に染み込ませていくと…。

切羽詰まったときに、自分はその事象をどんな風に感じているか、とっさにどんな行動を取ってしまうか、少しずつ分かるようになります。そして、自分の弱みさえ愛しく感じることができたとき、今までこびりついていた不安や焦燥感、怒りがふっと消えていることに気づくはずです。

大人と子どもでは心身の発達が違うので、アプローチの方法が自ずと変わってきます。それぞれに合った方法で、身体をほぐし、思い込みをほどいていくと、”幸せを感じる小さな芽”が育まれる。そのことが、ヨガを実践した人が受け取ることができる、ギフトかもしれません。

今日は、運動会前の暑い日の午後でしたが、子どもたちは元気いっぱい身体を動かしました。そして、素敵な表情にたくさん出会うことができました。今年度ものびのびと身体を動かし、ときどき、ばかばかしいくらい無邪気になる時間を作っていけたら、と思います。

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