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2026-07-26

それぞれの太陽礼拝

ギラギラの日差しに負けそうになる夏ですが、せっかくの太陽のエネルギーを身体にとり込めたらと、7月のクラスでは太陽礼拝を行なっています。

太陽礼拝をするとき、時々お時間をいただいてお伝えしたくなるのが、世界中の礼拝の姿勢、体操のようなものには共通の連続動作があるということ。

・地面に身や額を近づけて、崇拝する存在に対しての敬いと礼を示す

・立ち上がり座りの動作

・背骨をなめらかに動かす動作(前屈と後屈を繰り返すことで背骨を意識化する)

・呼吸と動作を合わせる(場合によっては祈りの言葉:吐く息)

ヨガクラスでは健康のために太陽礼拝を行いますが、宗教儀礼の意味合いも心の片隅に持っているともう一歩味わい深くなるかもしれません。

実は、この夏わたしは「小チベット」とも言われている北インド、ラダックへ旅行してきます。一度は訪れてみたかったチベット仏教やチベット文化が残っている地域について、少し思い出話をさせてください。

ヨガ教室を森下ではじめた翌年2017年に、都内の上映会で「ラサへの歩き方 2400mの祈りの道」、五体投地で聖地ラサへ巡礼する11人の村人のドラマを観ました。

当時のわたしの感想は、

「子ヤギの出産、家畜を殺してお肉を干す場面、人間の出産、誰の子か分からないくらいみんなで子守りしている様子、死、祈り、踊り、分け合うお茶、家畜の解体の仕事をしている人の心の葛藤、巡礼の旅で蟻を潰さないように見守っていたこと、磨り減る板、額のかさぶた、気になった幾つもの場面を帰りながら振り返りました。変に複雑に考えすぎてしまうとき、もっとシンプルでいいんだよ!と教えてくれる、そんな映画でした。」

この映画の話をヨガクラスでしたところ、「夜も五体投地で進むのですか?」と尋ねてくださった方がいました。

映画の中の村人達は自分の村からラサまで1年間かけて巡礼するので、日が暮れる前にテントを張って火を焚いて食事を作って寝て、また朝になるとテントを畳んで、五体投地… 淡々と、明日も明後日も続くからこそ、日々適量、動いたら休む、ちょっとずつ前進するというペースでした。「急いで、できるだけ早く辿り着く」そんなマインドが全く通用しない、広大な大地と空とちっぽけな人間の画像も相まって、生き急ぎがちだった当時のわたしに対して、ものすごい説得力で「そういう価値じゃない世界もあるんだ」ということを教えてくれた映画でもありました。

映画の中に登場する11人の中には、お祖父さんも子ども赤ちゃんもいて、みんな各々のやり方なのだけどズルはしない五体投地をしている姿を、みなさんと太陽礼拝をしながら思い出しました。

森下のヨガ教室アートトでは、太陽礼拝をそのままチャレンジしている人とポーズの移行の負担を軽減して行なったり、代替ポーズで流れに乗って動いたり、参加者それぞれに様々な形の太陽礼拝を行なっています。

基本は大切にしながら、それぞれの身体に合ったかたちで、先ほどの4つの要素が自然に息づくように。

少人数だからこそ、ちょっと待ってくれる心の余裕のある方々がいるからこそ、また、自分の身体を優先させ人と違うことを選択できる勇気があるからこそ、こんな光景が見られるのかもしれないな、とちょっと誇らしく思いました。

少し負荷をかけて身体を気持ちよく動かすことは大切だけど、ただ単に「たくさん、早く、頑張らなきゃいけない」マインドは脱ぎ捨てて、自分にとっての「適切適量を知的に探ること」もまた、人生に通じる知恵=ヨガではないかと、この頃よく思います。

 

 

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